「みことばを黙想しよう」 L.i.C.

「こうして、サムソンは彼の父母とともに、ティムナに下って行き、ティムナのぶどう畑にやって来た。見よ。一頭の若い獅子がほえたけりながら彼に向かって来た。」(聖書・士師記14:5~6)
この世で生きていく時に、突然やって来る出来事や苦しみがあります。
聖書を見ると、サムソンがティムナの美しい女性を自分の妻にしようとして下って行きました。
しかしその時、ぶどう畑から獅子が出現します。
私たちは、イスラエルに暮らしていませんから、ぶどう畑から獅子がやって来ることが変だとはあまり思いません。
しかし、ライオンの生息場所は、一般的にぶどう畑ではありません。

ライオンはぶどうを食べているわけではないからです。ですから、ぶどう畑からライオンはまず出て来ないはずです。

そのように、私たちの人生においても、考えてもみなかったとんでもないことに出会うことがあります。

私たちの人生にライオンが出てくることがあるのです。

このようなときに、すべきことは何でしょうか。

それは「黙想」です。

神様のみことばを握って、深い黙想に至らなければなりません。

しかし、サムソンには問題がありました。ぶどう畑からライオンが出てきても、彼はその意味を少しも黙想して神様のメッセージに耳を傾けようとはしませんでした。

それゆえ、神様のみこころを悟る機会を逃してしまいます。

「黙想」を英語で、メディテーション(Meditation)と言います。その語源は「薬」という意味のメディスン(Medicine)と関係あります。

例えば、腹痛の人がいるとします。ここに胃腸薬があったとしても、これを握っているだけでは良くなりません。
その薬を飲んだ後、この薬の効果が初めて発揮されるのです。

みことばも同じです。みことばを飲んで、それが溶けて内側で効果を発揮しなければならないのです。ですから人生というのは、このみことばをいかに内側で黙想して溶かしているか、それにかかっているのです。
~あなたらしさをつかんで生かす~より

今日はみことばをじっくりと黙想して心の置くまでしみこませましょう。

「あなたのみことばは、私の上あごに、なんと甘いことでしょう。蜜よりも私の口に甘いのです。」(聖書・詩篇119:103)

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