以前、シーラカンスと名づけられた魚の化石が発見されましたが、その後このシーラカンスが、今もアフリカの海岸で生息していることがわかりました。
進化論では、シーラカンスのように陸上生活にも便利な形のひれを持つ魚が進化して蛙のような水陸両用の両生類になり、さらに「長い年月のうちに」、トカゲのような爬虫類に変わり、それがサルを経て人間に進化したと言います。
神様は体を動かすのに便利なように、人間にもサルにも同じような骨格を下さいましたが、進化論ではサルの骨格が人間に似ていることから、人間はサルから進化したのだと推測します。
もしもサルやトカゲが人間と結婚して、子どもができ繁殖していけば、この進化論は正しいということにもなるでしょうが、どんな生物についても、別の生物(種)に変わった例は、ただの一つも知られていないのです。
進化論では、「突然変異による偶然の積み重ねで『長い年月』の間に進化が起きる」と考えます。
遺伝子工学の進歩に伴って、ある程度、遺伝子が変化することがわかり、この考えを完全に無視することはできないのですが、偶然の積み重ねで、「長い年月」の内に一つの生物が全く違う生物に変わってしまうことがあり得るのでしょうか。
今、「長い年月」ということばに含まれる虚構について、ほんの少しだけ考えてみましょう。
人間の細胞は約60兆個あり、その各細胞の中に分子が無数にあって、それらは互いに、与えられた不思議な生命の目的に沿って、つながり助け合っています。
わかりやすい例を挙げます。
わずか10種類の異なる分子があって、18個だけ鎖のようにつなげるとします。
一つの分子を選ぶだけで10通り、もう一つつなげる方法は、それぞれに対して10通りありますから、結局10×10=100通りあります。
こうして次々に18個までつなげる方法は、10を18回掛けた数値、すなわち、100万兆通りあります。1秒に1回つないでこのすべてのつなぎ方を試すと仮定すると、実に100万兆秒(=約300億年)かかってしまうのです。
その中のたった一つだけが、最も良い組み合わせとして偶然に選ばれて今実在している、と考えるのが進化論です。
互いに助け合う人間の細胞60兆個がどうしてこのような偶然で作られることが可能でしょうか。
全知全能の神様だけがこのことをなされたのです。
「神にとって不可能なことは一つもありません。」(聖書/ルカ1:37)
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