「立ち止まって」 L.i.C

「すると、イエスは立ち止まって、『あの人を呼んで来なさい』と言われた。・・・」(聖書/マルコ10:49)

目の見えない男は、イエス様のあわれみを求めて叫び出ました。
「私をあわれんでください!!」
周りの人々は彼を黙らせようとしました。

しかし、イエス様は彼の声に応えられました。
神様は助けを求めて叫び求める声を決して放っておかれません。

立ち止まって、その願いに耳を傾けてくださるのです。
「何をしてほしいのか」と。
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「見えるようになる」 L.i.C

「…イエスはもう一度彼の両目に両手を当てられた。そして、彼が見つめていると、すっかり直り、すべてのものがはっきり見えるようになった。」(聖書/マルコ8:25)

私たちは現実が見えていないので、問題を解決することができなくなっていることがあります。

ある女性が、家庭に問題を抱えていたため、たまらなくなって、ある3泊4日の修養会に参加しました。
神様を求めて解決を見つけるためでした。

誰も知り合いがいない中で一人ぽつんと座っていると、一人のご婦人が近づいて来ました。
いろいろ、質問されたり、どうでもいい世間話を延々と話し始めました。
修養会の間、このご婦人に捕まっては相手をさせられました。
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「独立しない」 L.i.C

子供は純粋無垢とよく言われますが、イスラエル人の中で「子供のように」と言う時、
それは無価値な者、弱い者、取るに足りない者の象徴です。

経験もなく、自分で生きることができない、親の扶養によって養われる存在。

霊的にも幼子のように生きている人は、自分を誇ることがなく、神なしでは自分は成り立たないことを自覚しています。
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「ちょうど良い時に」 L.i.C

「真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていた。ところが突然、大地震が起こって、獄舎の土台が揺れ動き、たちまちとびらが全部あいて、みなの鎖が解けてしまった。」(聖書・使徒16:25,26)

聖書にはパウロとシラスが牢につながれていた時のことが記されています。牢獄の扉がバタンと閉められた時、パウロとシラスには自分たちが明日の朝、生きているのかどうかさえ確かではありませんでした。

彼らは神を賛美し礼拝する中で、彼らの霊はますます高揚し、神に栄光を帰したのでした。

事は突然、真夜中に起こりました。地震が起こって、獄舎の扉が突然、開いたのです。
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「まずは食事でも」 L.i.C

「料理人は、ももとその上の部分とを取り出し、それをサウルの前に置いた。そこでサムエルは言った。「あなたの前に置かれたのは取っておいたものです。お食べなさい。私が客を招いたからと民に言って、この時のため、あなたに取っておいたのです。」その日、サウルはサムエルといっしょに食事をした。」(聖書・1サムエル9:24)

サムエルはサウルに王になるという、神様からの伝言を伝えるためにまず、サウルを食事に接待しました。

それも、取って置きの食事を振舞って豪華に接待をしました。

もちろん、とうとつに神様から「このように伝言をいただきました」と言って伝えてさよならもできたことでしょう。

ともに食事をするとリラックスしますよね。
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