「心のきよい者」 L.i.C

「心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るから。」(聖書/マタイ5:8)

「心」とは、感情というより、むしろ考え方の態度のことです。

その人を決定する要素は、その人が持つ考えと態度に関係があるのです。

そして「きよい」とは、ギリシャ語でカタロスという言葉で、

「洗ってしまう」「偽りのない」という意味です。

つまり、心のきよい人とは、私たちの思考をイエス様のみことばによって

きれいに洗っていただき、偽りのない、正直な心で神様の前に立っている姿を指します。

心を隠してしまうと、せっかく神様の前に出ているのに、

神様は洗うことができなくなってしまいます。
“「心のきよい者」 L.i.C” の続きを読む

「何の理由もなく」 L.i.C

5つ目の幸福ですが、ある人はこの幸福を錯覚しています。

「あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるから。」
(聖書/マタイ5:7)

自分があわれみ深いなら、自分もあわれみを受けるといったように、

自分の功績のように考えています。

しかし、この言葉の正確な意味は、あわれみを受けた者だけが人を

あわれむことができるという意味なのです。

ローマ人への手紙5章5節を見てみましょう。

神様は一方的に「愛しなさい」と命じているのではありません。

神様は「まず神様の愛を受けなさい」と言っているのです。
“「何の理由もなく」 L.i.C” の続きを読む

「あのお店に行きなさい」 L.i.C

「義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるから。」(聖書/マタイ5:6)

「義に飢え渇く者」とは、私たちの真の目標を意味しています。

人は才能があるからではなく、渇きがあるから前に進むのです。

何をするにしても、その行動力の源は、渇きです。

神様が飢え渇きを与えてくださるということは、どんなに大きな力でしょうか。

飢え渇きがあるということは、その人の人生がそこに向かって進んでいくということです。

それでは「義に対する渇き」とは何でしょうか。

「義」はギリシャ語で「ディカイオー」と言います。
“「あのお店に行きなさい」 L.i.C” の続きを読む

「神様が動きだすまで」 L.i.C

「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐから。」(聖書/マタイ5:5)

現代は自分自身を誇示していく時代です。

しかし聖書は至るところで「神様に頼れ」と命じています。

「頼る」という言葉はラテン語の「レリジオ」が語源となっています。

この言葉には「結び付ける」という意味があります。

ですから「神様に頼る」とはもともと、

神様と私たちを紐で結び付けるという意味なのです。

それでは、神様に頼る者にとって一番必要なことは何でしょう。

「待つ」ことです。
“「神様が動きだすまで」 L.i.C” の続きを読む

「泣ける話」 L.i.C

今日は、イエス様の語る幸福の2つ目です。

「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから。」(聖書/マタイ5:4)

本当の病気とは何でしょうか。

それは神様の前で泣けないということです。

悲しい時に泣くことができる人は健康だと言うことができるでしょう。

泣けない人は病気にかかってしまいます。

泣くことのできる心が与えられた時、教会に、社会に、変化がもたらされるのです。
“「泣ける話」 L.i.C” の続きを読む