「愛の自由選択」 L.i.C

「もしも主に仕えることがあなたがたの気に入らないなら、川の向こうにいたあなたがたの先祖たちが仕えた神々でも、今あなたがたが住んでいる地のエモリ人の神々でも、あなたがたが仕えようと思うものを、どれでも、きょう選ぶがよい。私と私の家とは、主に仕える。」(ヨシュア記24:15)

ヨシュアは、イスラエルの人々に神として仕えることを自分の意思で選びなさいと命じました。

ヨシュアは、もちろん神様を選びますと宣言しました。

神様は、私たちを愛する愛の故に選択の自由を与えられました。
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「具体的にね」 L.i.C

「部族ごとに三人の者を選び出しなさい。彼らが立ってその地を行き巡るように、私は彼らを送り出そう。彼らはその地についてその相続地のことを書き記し、私のところに来なければならない。」(聖書/ヨシュア18:4)

神様はヨシュアを通して念願の約束の地を受け取るために、実際に足を運び、具体的に調べ書き記すように命じました。

ある先生が働きの為に、自転車と机を祈り求めていました。
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「父の心と祈りの関係」 L.i.C

とても性格の悪い人がいました。彼は、誰の頼みも聞き入れません。しかしある日、彼の息子が魚と卵が欲しいと頼むと、当然のように聞き入れました。自分の息子だったからです。

祈りが聞かれるために必要なのは、神様と私たちの関係を正確に理解することなのです。

イエス様が教えられた「主の祈り」は「天にまします我らの父よ」で始まります。神様が私たちの父であることを知ることこそ、祈りの出発点なのです。
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「Nothing but Everything」 L.i.C

D.Lムーディはモーセの生涯をこのように描写しています。

「モーセは初めの40年間は自分が大した人物(something)だと考えて生きた。

けれどもその次の40年間は、自分が何者でもないこと(nothing)を知るに至った。

そして最後の40年は、何者でもない自分(nothing)を神様が捕らえて用いてくださるならば、権能者(everything)になることもできると知る人生を生きた」
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