「すると、イエスは立ち止まって、『あの人を呼んで来なさい』と言われた。・・・」(聖書/マルコ10:49)
目の見えない男は、イエス様のあわれみを求めて叫び出ました。
「私をあわれんでください!!」
周りの人々は彼を黙らせようとしました。
しかし、イエス様は彼の声に応えられました。
神様は助けを求めて叫び求める声を決して放っておかれません。
立ち止まって、その願いに耳を傾けてくださるのです。
「何をしてほしいのか」と。
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キリストの無償の愛(AGAPE)、ゴスペル、いのちに潤いをあたえる聖書の世界を伝えるメッセージ放送局
「すると、イエスは立ち止まって、『あの人を呼んで来なさい』と言われた。・・・」(聖書/マルコ10:49)
目の見えない男は、イエス様のあわれみを求めて叫び出ました。
「私をあわれんでください!!」
周りの人々は彼を黙らせようとしました。
しかし、イエス様は彼の声に応えられました。
神様は助けを求めて叫び求める声を決して放っておかれません。
立ち止まって、その願いに耳を傾けてくださるのです。
「何をしてほしいのか」と。
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「イエスは言われた。『まことに、あなたがたに告げます。わたしのために、福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子、畑を捨てた者で、その百倍を受けない者はありません・・・。』(聖書/マルコ10:29.30)
金持ちの青年は、自分の財産を惜しんで、イエス様の下から去って行きましたが、ペテロたちはすべてを捨てて従って来ました。
ちょっと誇らしく思ったペテロたちは、その犠牲に対して、どんな報いがあるのか?とイエス様に尋ねたのです。
イエス様は、「いやらしいぞ」とか「あつかましい」とか言われませんでした。
イエス様に従う人にはこの世でも天国でも大きな報いがあると約束されたのです。
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「…イエスはもう一度彼の両目に両手を当てられた。そして、彼が見つめていると、すっかり直り、すべてのものがはっきり見えるようになった。」(聖書/マルコ8:25)
私たちは現実が見えていないので、問題を解決することができなくなっていることがあります。
ある女性が、家庭に問題を抱えていたため、たまらなくなって、ある3泊4日の修養会に参加しました。
神様を求めて解決を見つけるためでした。
誰も知り合いがいない中で一人ぽつんと座っていると、一人のご婦人が近づいて来ました。
いろいろ、質問されたり、どうでもいい世間話を延々と話し始めました。
修養会の間、このご婦人に捕まっては相手をさせられました。
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子供は純粋無垢とよく言われますが、イスラエル人の中で「子供のように」と言う時、
それは無価値な者、弱い者、取るに足りない者の象徴です。
経験もなく、自分で生きることができない、親の扶養によって養われる存在。
霊的にも幼子のように生きている人は、自分を誇ることがなく、神なしでは自分は成り立たないことを自覚しています。
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