「イエス様を見上げて」 L.i.C

内村鑑三は、23歳の時渡米し、
アメリカでキリストの伝道者になることを決心しました。
新島襄の勧めで、彼は、アマースト大学のシーリー先生にお世話になることになりました。

ある時、シーリー先生は、
彼を呼び出して、彼の抱えている悩みについてたずねました。
内村は、何年も前からあることで悩んでいました。

彼は、講演で神の愛を説教しながらも、
通っている教会の冷たい人間関係を苦々しく思ったり、
街でスリにあって憤慨したり、
心の中がちっともきよくないことで自分を責めていたのです。

内村は、聖書を読んでも、祈ってもきよくなれないと、シーリー先生に打ち明けました。

シーリー先生は、言いました。

「もし、鉢植えの花の成長を見たいために、
水をやってから毎日根を掘り返したら、花はどうなるかな?」

内村は、「枯れてしまいます」と答えました。
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「イエス様の救い」 L.i.C

儒教と仏教、キリスト教の救いを比較する有名な話があります。
ある人が井戸に落ちておぼれていました。

彼が苦しみもがいていたとき、ちょうどそこに孔子が通りかかりました。
孔子は彼に向って、正しい道、道徳を教えました。

また次に通りかかった釈迦は網を降ろし、
何とかして上って来るよう、自力救済の道を説きました。

しかしキリストは自ら深い井戸の底にまで降りて行き、その人を抱え上げて来たのでした。

今まさにおぼれている人にとって必要なのは、
善悪の知識でも叱咤(しった)激励でもなく、犠牲を伴う完全な愛の救いです。
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