「神の力を体験するためには」 L.i.C

ウォッチマン・ニーの話です。

かつて、20人ほどの人と一緒に家に泊まり、毎日川に水浴に出かけていました。
ところがある日、そのうちの一人が足にけいれんを起こして、急に沈み始めたのです。

それを見た私は、水泳の得意な人に、早く助けに行くよう言いました。
ところが彼は、動こうとしません。おぼれている人の声は弱っていきます。動きも目に見えて衰えてきました。
私は「なんていう人だろう。目の前で人がおぼれているのに助けないとは」と思いました。
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「無音の曲」 L.i.C

アメリカのジョン・ケージという作曲家が、前代未聞のピアノ曲を作曲しました。
ピアニストもオーケストラも、四分三十三秒の間、何もしないで静かにしているのです。
題して「四分三十三秒」。
そして、なんとこの曲を収めた(?)無音のレコードが、アメリカを中心として結構なヒットとなり、バーなどに置いてあるジュークボックスでも、たくさんの人がお金を払ってこの曲をリクエストしたとか。

私たちは、知らない間に様々な騒音や情報の波に翻弄され、疲れ切ってしまっています。
だからこそ、せめて無音のレコードを聴いて、その間は騒音や情報の嵐から解放されたいと願っているのでしょう。
http://www.nakakomi.com/
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「失敗パターンから抜け出す」 L.i.C

私たちの特権は失敗できるということです。

失敗のない人はいないし、失敗自体は罪ではありません。

失敗した後に「同じ失敗を繰り返さないぞ」と思える人が成長するのです。

失敗を通して研究が始まり勝利に向かって進んでいく、これが私たちの特徴です。

ある時、卓球をしました。
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「かぶとパート2」 L.i.C

「救いのかぶとをかぶり、……」(聖書・エペソ6:17)

昨日に引き続き「救いのかぶと」を見てみましょう。
ここで言うかぶととは、当時戦いに行く兵士が頭を守るためにかぶったものです。

それは、頭だけではなく耳までもおおいました。

サタンは、いつも私たちにささやきかけています。

「おまえには何かできるの?」
「そんなおまえは、神様にふさわしいのか?」
「そんなのやっても無駄なんじゃない?」
「お前がやる気をだしても何の意味もないんじゃない?」
「神様が、お前の祈りなんか聞いてくれるの?」
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「確信で事を成す」 L.i.C

「救いのかぶとをかぶり、……」(聖書・エペソ6:17)

ここで言われている「救いのかぶと」とは神様に対する確信、すなわち神様が大いなるお方であると認めることです。そして私たちの未来には、主にあって望みがあると信じることです。神様が共におられるならば、自分に実力がなくても、神様の実力で何でもできると信じることです。

神様をこのように信じるならば、私たちの心には確信が生じます。私たちの信じる神様のご性質、実力が、私たち自身の性質や実力を決めていくのです。
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