「ちょうど良い時に」 L.i.C

「真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていた。ところが突然、大地震が起こって、獄舎の土台が揺れ動き、たちまちとびらが全部あいて、みなの鎖が解けてしまった。」(聖書・使徒16:25,26)

聖書にはパウロとシラスが牢につながれていた時のことが記されています。牢獄の扉がバタンと閉められた時、パウロとシラスには自分たちが明日の朝、生きているのかどうかさえ確かではありませんでした。

彼らは神を賛美し礼拝する中で、彼らの霊はますます高揚し、神に栄光を帰したのでした。

事は突然、真夜中に起こりました。地震が起こって、獄舎の扉が突然、開いたのです。
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「まずは食事でも」 L.i.C

「料理人は、ももとその上の部分とを取り出し、それをサウルの前に置いた。そこでサムエルは言った。「あなたの前に置かれたのは取っておいたものです。お食べなさい。私が客を招いたからと民に言って、この時のため、あなたに取っておいたのです。」その日、サウルはサムエルといっしょに食事をした。」(聖書・1サムエル9:24)

サムエルはサウルに王になるという、神様からの伝言を伝えるためにまず、サウルを食事に接待しました。

それも、取って置きの食事を振舞って豪華に接待をしました。

もちろん、とうとつに神様から「このように伝言をいただきました」と言って伝えてさよならもできたことでしょう。

ともに食事をするとリラックスしますよね。
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「信仰を持ち出そう」 L.i.C

「ですから、私たちは、キリストのはずかしめを身に負って、宿営の外に出て、みもとに行こうではありませんか。」(聖書・ヘブル13:13)

信仰を持って、外に進み出て神様を体験しようと語っています。

とかく、信仰を働かせるのは教会生活の中にとどまりがちです。

教会生活の中では、「神様は何でもできる」「神様はどんな病もいやされる」と叫んでいても、教会から一歩出ると普通に自分の力だけで生きてしまうってことありますよね。

イエス様は、きのうもきょうも、いつまでも同じお方です。
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「この人は大工では」 L.i.C

「この人は大工ではありませんか。マリヤの子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではありませんか。その妹たちも、私たちとここに住んでいるではありませんか。」こうして彼らはイエスにつまずいた。」(聖書・マルコ6:3)

イエス様の少年時代を知っていた人は、イエス様を神様であると認めることができませんでした。

結局、彼らはイエス様のすばらしい恵みをいただくことができなかったのです。

私たちの周りにもイエス様のような人がいるかもしれません。
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「弱さを実感するとき」 L.i.C

人間には失敗がつきものです。
挫折を味わうことも、弱さを実感することも、人間であれば当然のことなのです。
自分の強さやすばらしさしかわからない、勝利や成功しか体験したことがない、というのは、よほど自分に自信があって自己中心的な考えに陥っているか、本当の自分に対して素直に生きていないことの表明にしかすぎません。

「生きる目的」をもって日々を歩むことは、決して自分に完璧を要求することではありません。
成功ばかりが持続すれば「目的」をもった生き方が証明できる、と錯覚してはいけないのです。
「生きる目的」をもっていても失敗することはあります。落ち込むこともあります。
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