「クリスチャンの本免許」 L.i.C

私たちが自動車の免許を取るとき、免許を取るまではずっと教官が助手席に座って、私たちを監督してくれます。
そして本免許を取ったときには、教官もいなくなり、一人で運転席に座って運転をするようになります。

しかし、クリスチャンの人生は逆の道をたどります。
信じる前は、自分で一生懸命自分の人生を運転しています。
だけど、どんなにうまく運転しているようでも、失敗してしまいます。
道に迷ったり、とんでもない道に入り込んでしまったり。
当たり前です。私たちは行くべき道が分からないのですから。
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「ラビのとまどい」 L.i.C

ポーランドに住むラビのハフェツは、汽車で隣り合わせた旅人が自分に会いに行こうとしているのを知りました。彼は、ラビのことをこう言っていました。
「聖人で偉大な学者でもあるあの方から、私は祝福を受けたいのです」

自分のことをかいかぶっていると不安になったラビは、彼を止めようとしました。
「ラビはあなたが思っているような、偉大な学者でも聖人でもありませんよ」
すると旅人は腹を立て、「何を言うんだ」とラビをなぐりつけました。
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「信仰とせっけん」 L.i.C

せっけん屋が、牧師と道で一緒になりました。せっけん屋が言いました。

「人間の歴史を見てると、信仰なんて何の役にも立たねぇって分かりますよ。キリストさんが生まれてから2000年もたつってのに、人間は未だに醜いまんまじゃねぇですかい」

牧師はしばらく黙っていました。しばらくすると、子どもたちが道ばたで泥んこ遊びをしていました。牧師は言いました。
「せっけんってのも何の役にも立ちはしないね。せっけんが発明されてからどれくらいの年月がたったか知らないけれど、あの子たちはあんなに泥んこだ」
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「あるものを尋ねられる神様」 L.i.C

「何をしてあげようか。家にどんな物があるか、言いなさい。」(聖書/第2列4:2)

預言者エリシャにこう聞かれた女性は、「だだ、油のつぼ一つしかありません。」と言います。
そして、この、汚れてひび割れ、かろうじて数滴の油が入っているだけのたった一つの油のつぼが奇跡を起こすカギとなりました。

何かをしようとする時、ないものばかりを上げていませんか。
「教養がありません」
「資格がありません」
「財力がありません」
「コネがありません」

しかし、神様は「あるものを言いなさい」と言われます。
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「ユダの顔を消したダ・ヴィンチ」 L.i.C

レオナルド・ダ・ヴィンチは、「最後の晩餐」を描く直前、同僚の芸術家と激しく口論しました。
そこで復讐の思いを込め、イスカリオテのユダをその同僚そっくりに似せて描きました。

続いて彼はイエス様の顔を描き始めました。
しかし、なかなか筆を進めることができません。
同僚に対する憎しみが、彼を妨げていたのです。

ダ・ヴィンチはすぐに同僚を赦し、ユダの顔を消しました。
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