今日はイエス様の受難日です。
イエス様が私たちの罪のために十字架の苦しみを受けられたことを覚える日です。
「…神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。」(聖書・2コリント5:18)
人間の罪は、神との関係、自分との関係、他人との関係を切り離しました。
キリストの十字架はその敵意に和解をもたらします。
“「仲直りしよう」 L.i.C” の続きを読む
今日はイエス様の受難日です。
イエス様が私たちの罪のために十字架の苦しみを受けられたことを覚える日です。
「…神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。」(聖書・2コリント5:18)
人間の罪は、神との関係、自分との関係、他人との関係を切り離しました。
キリストの十字架はその敵意に和解をもたらします。
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今日は洗足木曜日です。
イエス様が十字架に向かわれる直前に、弟子たちの足を洗われ共に食事をされた日を覚える日です。
「イエスは言われた。『わたしは、苦しみを受ける前に、あなたがたといっしょに、この過越の食事をすることをどんなに望んでいたことか。」(聖書・ルカ22:15)
イエス様はこれから受ける苦しみを良くご存知でした。
もし、私たちがイエス様と同じ状況にあったなら、どれほどへこんでいたことでしょう。
“「自分の荷物をちょっと脇に」 L.i.C” の続きを読む
苦しみの中にいる時、神があなたに与える慰めは、単にあなたに対する神の愛の表れだけではありません。
深い悲しみを経験したことがあるなら、そんなとき、いかに簡単に疑い、怒り、妬み、恐れるかをあなたは知っているでしょう。
自分の殻に閉じこもり、すべてをあきらめたくなることも。
しかし同時に神が与える助け、希望、慰め、そして力がどんなものであるかも経験したのではないでしょうか。
“「慰めを分かち合う」 L.i.C” の続きを読む
「ですから、愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい。」(聖書/エペソ5:1)
神様が私たちを愛したように愛の人生を生きたいという願いがありますか?
神様の愛は、積極的な愛です。
神様はあわれみ深いのですが、単に罪を見逃すのではありません。
“「積極的で押し付けがましい愛」 L.i.C” の続きを読む
「兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。」(聖書・ピリピ3:13,14)
今日の聖書の箇所には、パウロが、どのようにして失望から解放されていたのかがよくわかります。パウロを助けた6つの鍵が、私たちをも助け、神のいのちのを自分の内に流れ込ませてくれるでしょう。
1.今はまだ最終局面ではありません。
「自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。」
私たちが栄冠を受けるゴールはもっと先です。
“「失望しない6の鍵」 L.i.C” の続きを読む