「喜びに満たされよう」 L.i.C

「こうして、あなた(神様)に身を避ける者がみな喜び、とこしえまでも喜び歌いますように。あなたが彼らをかばってくださり、御名を愛する者たちがあなたを誇りますように。主よ。まことに、あなたは正しい者を祝福し、大盾で囲むように愛で彼を囲まれます。」(聖書・詩篇5:11、12)

神様の喜びは、神に信頼を置くクリスチャンたちの心を満たします。

神様の喜びは、完成されたものであり、私たちの心を満たします。心がこの喜びに満たされると、神様への賛美や歌となって溢れでるのです。

この喜びは、目に見える状況に基づいた単なる幸せの感情とは異なり、神から直接与えられるものなのです。

人はしばしば、「これこれのことが起これば」あるいは、「あれが手に入ったら自分は幸せになるだろうに」と確かな根拠もなしに思うのです。
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「信仰で自分を守ろう」 L.i.C

「これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。」(聖書・エペソ6:16)

パウロの時代、火矢は街の城壁を超えて打ち込まれ、城壁の内側に火をつけ、感大な被害をもたらし、しばしば相手を敗北に追い込みさえしたのです。

悪魔が火矢であなたを攻撃する時、彼らはあなたを揺さぶろうとします。

敵の火矢は、最もありふれた「疑い」をはじめとして幾つかの形を取ることがあります。

疑いは、あなたが神に対していだいている信仰や信頼、神の御前に立つ有利な立場などを破壊し、あなたをつまずかせ、倒れさせようとします。

疑いの火矢は、あらゆる方向から放たれて、あなたを戦いから退かせようとします。

しかし、信仰の大盾がしっかりと前に掲げられるなら、確実にひとつの事をしてくれます。
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「見えないものを」 L.i.C

「確かに、私たちは見るところによってではなく、信仰によって歩んでいます」(聖書・2コリント5:7)

このみことばは、見えるところによってではなく、信仰によって歩まなければならないと宣言しています。

この文章の中の「歩く」という言葉はギリシヤ語で、あなたの「人生のあり方」あるいは「生活のあり方」を意味しています。

見えるものだけに従って行動してはなりません。また、この現実の世界に起こるものだけを全て受け入れるべきでもありません。

そうではなく、より真実なもの、すなわち、あなたの目で見えない世界の豊かさを受け入れるべきです。

あなたの目が見ることのできないものとは何でしょうか。
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「試練は栄養活性剤」 L.i.C

「岩の上に落ちるとは、こういう人たちのことです。聞いたときには喜んでみことばを受け入れるが、根がないので、しばらくは信じていても、試練のときになると、身を引いてしまうのです。」(聖書・ルカ8:13)

ご存知、神様のことばが私たちの心に蒔かれると、どの様に100倍の実を結ぶかとイエス様が語ってくださった時のワントークです。

これを見ると、みことばが蒔かれると、やがて試練がやってくるということが分かります。

試練がやってきて、2つに分かれるのです。

身を引いて実りを失ってしまうか。

耐え抜いて100倍の実を受け取るか。です。
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「大きな荷物のお婆さん」 L.i.C

大きな荷物を背負って、歩いているお婆さんがいました。

そこに、親切な人が車で通りかかりました。

彼は、大変そうなお婆さんを見て、「どうぞ乗ってください」と乗せてあげたそうです。

お婆さんは、喜んで乗せてもらいました。

でも、お婆さん乗り心地が悪そう。

何とお婆さんは、そのまま荷物を背負ったままなのです。

彼はそれを見て、「お婆さん、どうぞ荷物も降ろしてリラックスしてください」

お婆さんは、「車に乗せてもらっただけでありがたいのに、荷物まで任せたら悪いね~」
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