「人生を変えた一言」 L.i.C

フランスの作家アンドレ・ジイドをご存知でしょうか?

「狭き門」は良く知られていますが、彼の多くの著作の中に「放蕩息子の帰宅」、
「イザベル」や「一粒の麦もし死なずば」というキリスト教と関わりのある
タイトルを付けられているものもあります。

しかし、ジイドの少年時代は最悪でした。うそつきで人を騙す少年だったのです。
さらに、体は弱く病弱で、学校を3週間も続けて休んだりもしました。
その上、彼はあきれるほど臆病で、まったく劣等感のかたまりでした。

ある日、先生が生徒全員に詩を朗読させましたが、ジイドの番になりました。
すると、ジイドは感情を込めて素晴らしい朗読をしたのです。
その時、先生は彼をとても誉め、「君は将来、素晴らしく立派な作家になる」と言いました。
それ以後のジイドは友人からいじめを受けても、先生から誉められたことを心に刻み、
文学青年となる夢を持ち、その道を進んだのです。
“「人生を変えた一言」 L.i.C” の続きを読む

「生きていることが奇跡だと知る」 L.i.C

あるアメリカの牧師のトゥルーストーリーです。

「私が6才の時、絶壁の下の川岸で遊んでいました。
そして、しばらくの間その場を離れました。
戻ってみると、何と私が遊んでいたちょうどその場所に大きな岩が落下していたのです。
私はびっくりすると同時に、子どもながらに
神様が私を保護してくださったに違いないと思いました。

さらに、高校生の時です。3人の友だちと車でアリゾナ州を旅行しました。
その帰り道、急いでいたので一日中車を走らせ、交代で運転していました。
私は助手席で寝ていたのですが、不思議にも急に目が覚めたのです。

窓の外を見ると、車が崖に向かって走っていました。
運転している友だちは、ハンドルに頭を乗せて寝ているのです。
私はあわててハンドルを握り、彼の足をアクセルから外して
ブレーキを踏み、車を止めました。

私はしばらく、『いったい誰がこの危ない瞬間に、
私の目を覚まさせたのだろうか?』と考えていました。
私は、私を保護している見えざる手を確かに経験したのです。
神様が遣わしてくださった天使が私を保護したとしか説明ができません」
“「生きていることが奇跡だと知る」 L.i.C” の続きを読む

「ビリーグラハムの迷い」 L.i.C

20世紀最大の伝道者ビリー・グラハムが30歳になった時、
多くの人々を主のもとに導く世界的なリバイバリストになりました。

ある日、そんな彼の心の中に疑いが生じました。
「聖書は本当に神様のことばなのか?聖書を完全に信じることができるだろうか?」と。
すると彼の心はひどく動揺し、未来に対する大きな不安に襲われました。
世界的な伝道者であるにもかかわらず、聖書を疑い始めたからです。

それで一冊の聖書を持ってカルフォルニアの山の中に入って行って、
神様の御前にひざまずいて聖書を読み、黙想しました。そして、切に祈りました。
「神様、聖書を信じれるようにしてください!」と。
“「ビリーグラハムの迷い」 L.i.C” の続きを読む

「じっと十字架だけを」 L.i.C

「生きるにも死ぬにも私の身によって、キリストがあがめられることです。」
(聖書/ピリピ1:20)

今から200年ほど前のことです。

一人の青年紳士が、デュッセルドルフの美術館の一枚の絵の前にたたずんでいました。
その絵は有名な画家ステンバーグが、
自分の罪のためにイエス様が十字架で死なれたことを描いた、
あの「十字架のキリスト」でした。
彼はその絵の前にやってくると、足が床に吸いつけられたように、
ピタリと動かなくなってしまったのです。
その絵は、イエス様が静かに呼びかけているかのようでした。

画題を見ると、ラテン語で
「我は汝のためにかくなせり、汝は我がために何をなせしや」と書いてありました。
それを、何度も口の中で繰り返し味わった彼の目には、涙がにじんでいました。
“「じっと十字架だけを」 L.i.C” の続きを読む