「あわれみの愛によって」 L.i.C

ある小学校での話です。

授業が終わったときA君が言いました。
「先生、机の中に入れた買ったばかりの30センチの定規が無くなっているんです!」。
先生はそれを聞いたとき、B君かもしれないと思いました。
彼の家庭環境は複雑で、よく以前も盗んだことがあったからです。

そのとき、すぐに皆の引き出しを検査して調べることができましたが、
先生はそうしませんでした。
「さあ、皆、一区切りして校庭で遊ぼう」と子どもたちを全員外に出し、
一緒に遊び始めてすぐに教室に戻りました。
そしてB君の引き出しを開けてみると、
そこに30センチの真新しい定規が入っていたのです!
先生の心は暗くなりました。

でももっと暗くなったのはB君でした。
「先生はきっとみんなの前で自分を責めるに違いない」。
ではそうなったでしょうか?
先生はその定規を、すぐにA君の机の奥の方に戻しました。
そして、学校の近くの文房具店に行き、
全く同じ30センチの定規を買って帰ってきて、
今度はB君の引き出しの中に入れたのです。
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「難しかった人間関係が・・」 L.i.C

ある方がこんな話しをしてくださいました。
学生時代、何人かの友人がいましたが、
心を打ち明けて話せる友人はいませんでした。
それは今から考えると当然のことで、
未熟な私が愛していたのは友人ではなく自分自身でした。

人にどう思われるか、自分の損にならないか、といつも計算し、
他人と深く交わることを避けていました。
親しい人に「あなたはクールな人ね」と言われました。
主は「愛しなさい」とおっしゃるけれど、
私の冷たい心では到底人を愛することができない。
「あぁ、人を愛せるようになりたい」と切実に思い始め、
神様にそのことを祈り出しました。

そんなある日、子どもの遊び友だちが水ぼうそうにかかったことを聞きました。
聖書を開き、祈っていると「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」
ということばが心に響いてきました。
自分の息子がもし水ぼうそうになったら何をしてほしいだろうかと考えました。
「先日息子が熱を出して外へ出られなかったときは退屈で
『だれかビデオを貸してくれないかしら』と思ったんだっけ。
あのときは料理をするのも大変だったのよね。」
そして、肉じゃがとサラダとビデオを数本持って
子どもの遊び友達の母親のところへ飛んでいきました。
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