「神の子とされる祝福」 ヨセフ三本松(TLEA東京アンテオケ教会牧師)

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新約聖書:ローマ人への手紙 8:12~25


12それゆえに、兄弟たちよ。わたしたちは、果すべき責任を負っている者であるが、肉に従って生きる責任を肉に対して負っているのではない。
13なぜなら、もし、肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬ外はないからである。しかし、霊によってからだの働きを殺すなら、あなたがたは生きるであろう。
14すべて神の御霊に導かれている者は、すなわち、神の子である。
15あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは「アバ、父よ」と呼ぶのである。
16御霊みずから、わたしたちの霊と共に、わたしたちが神の子であることをあかしして下さる。
17もし子であれば、相続人でもある。神の相続人であって、キリストと栄光を共にするために苦難をも共にしている以上、キリストと共同の相続人なのである。
18わたしは思う。今のこの時の苦しみは、やがてわたしたちに現されようとする栄光に比べると、言うに足りない。
19被造物は、実に、切なる思いで神の子たちの出現を待ち望んでいる。
20なぜなら、被造物が虚無に服したのは、自分の意志によるのではなく、服従させたかたによるのであり、
21かつ、被造物自身にも、滅びのなわめから解放されて、神の子たちの栄光の自由に入る望みが残されているからである。
22実に、被造物全体が、今に至るまで、共にうめき共に産みの苦しみを続けていることを、わたしたちは知っている。
23それだけではなく、御霊の最初の実を持っているわたしたち自身も、心の内でうめきながら、子たる身分を授けられること、すなわち、からだのあがなわれることを待ち望んでいる。
24わたしたちは、この望みによって救われているのである。しかし、目に見える望みは望みではない。なぜなら、現に見ている事を、どうして、なお望む人があろうか。
25もし、わたしたちが見ないことを望むなら、わたしたちは忍耐して、それを待ち望むのである。