「何の理由もなく」 L.i.C

5つ目の幸福ですが、ある人はこの幸福を錯覚しています。

「あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるから。」
(聖書/マタイ5:7)

自分があわれみ深いなら、自分もあわれみを受けるといったように、

自分の功績のように考えています。

しかし、この言葉の正確な意味は、あわれみを受けた者だけが人を

あわれむことができるという意味なのです。

ローマ人への手紙5章5節を見てみましょう。

神様は一方的に「愛しなさい」と命じているのではありません。

神様は「まず神様の愛を受けなさい」と言っているのです。
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「あのお店に行きなさい」 L.i.C

「義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるから。」(聖書/マタイ5:6)

「義に飢え渇く者」とは、私たちの真の目標を意味しています。

人は才能があるからではなく、渇きがあるから前に進むのです。

何をするにしても、その行動力の源は、渇きです。

神様が飢え渇きを与えてくださるということは、どんなに大きな力でしょうか。

飢え渇きがあるということは、その人の人生がそこに向かって進んでいくということです。

それでは「義に対する渇き」とは何でしょうか。

「義」はギリシャ語で「ディカイオー」と言います。
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「神様が動きだすまで」 L.i.C

「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐから。」(聖書/マタイ5:5)

現代は自分自身を誇示していく時代です。

しかし聖書は至るところで「神様に頼れ」と命じています。

「頼る」という言葉はラテン語の「レリジオ」が語源となっています。

この言葉には「結び付ける」という意味があります。

ですから「神様に頼る」とはもともと、

神様と私たちを紐で結び付けるという意味なのです。

それでは、神様に頼る者にとって一番必要なことは何でしょう。

「待つ」ことです。
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