「私のために来られた主」 L.i.C

主イエス・キリストがお生まれになった時、天の御使いたちに現われて、救い主の誕生を告げ知らせます。
彼らは語ります。
「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。」(聖書/ルカ2:10)と。
主キリストの誕生は、人々にとっての大きな祝福となるものであり、すばらしい恵みの到来である、というのです。

主キリストの誕生は“この民全体のため”のものでした。
主はご自分の人生のために来られたのではなく、救われるべき人々のために来てくださったのです。
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「前進あるのみ」 L.i.C

ノーベル医学生理学賞を受賞した山中教授は、メダルを財団から受け取った時のコメント。

「ノーベル賞は過去のこと。
メダルは大切にしまい、もう二度と見ることもないと思う。
今後、科学者としてすべきことをしたい。」
とコメントしました。

偉大な功績はもはや過去のこと。
その栄光に浸ることなく、前に向かって前進する。
パウロと共通するものがあります。
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「キリストの本当のすまい」 L.i.C

非常に華やかで、暖かい雰囲気のあふれる時ですが、肝心かなめの、“主役”を忘れてしまっては意味がありません。
クリスマスという言葉は、“クリスト(キリスト)”と“マス(時)”の合成語であり、キリストの時、つまり、「イエス・キリストの誕生を祝う時」を意味するのです。
ですから、イエス・キリストの存在しないクリスマスは、いわば、ピアニストのいないピアノ協奏曲、肉のひとかけらもない焼肉定食のようなものです。

イエス・キリストがお生まれくださったということは、神ご自身が私たちの世界に来られたことを意味します。
全知全能の神様が、私たち取るに足りない人間のレベルにまで下ってきてくださり、私たちと共に生きてくださることに本当の価値があるのです。
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