「信仰とせっけん」 L.i.C

せっけん屋が、牧師と道で一緒になりました。せっけん屋が言いました。

「人間の歴史を見てると、信仰なんて何の役にも立たねぇって分かりますよ。キリストさんが生まれてから2000年もたつってのに、人間は未だに醜いまんまじゃねぇですかい」

牧師はしばらく黙っていました。しばらくすると、子どもたちが道ばたで泥んこ遊びをしていました。牧師は言いました。
「せっけんってのも何の役にも立ちはしないね。せっけんが発明されてからどれくらいの年月がたったか知らないけれど、あの子たちはあんなに泥んこだ」
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「あるものを尋ねられる神様」 L.i.C

「何をしてあげようか。家にどんな物があるか、言いなさい。」(聖書/第2列4:2)

預言者エリシャにこう聞かれた女性は、「だだ、油のつぼ一つしかありません。」と言います。
そして、この、汚れてひび割れ、かろうじて数滴の油が入っているだけのたった一つの油のつぼが奇跡を起こすカギとなりました。

何かをしようとする時、ないものばかりを上げていませんか。
「教養がありません」
「資格がありません」
「財力がありません」
「コネがありません」

しかし、神様は「あるものを言いなさい」と言われます。
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「ユダの顔を消したダ・ヴィンチ」 L.i.C

レオナルド・ダ・ヴィンチは、「最後の晩餐」を描く直前、同僚の芸術家と激しく口論しました。
そこで復讐の思いを込め、イスカリオテのユダをその同僚そっくりに似せて描きました。

続いて彼はイエス様の顔を描き始めました。
しかし、なかなか筆を進めることができません。
同僚に対する憎しみが、彼を妨げていたのです。

ダ・ヴィンチはすぐに同僚を赦し、ユダの顔を消しました。
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「仲直りしよう」 L.i.C

今日はイエス様の受難日です。

イエス様が私たちの罪のために十字架の苦しみを受けられたことを覚える日です。

「…神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。」(聖書・2コリント5:18)

人間の罪は、神との関係、自分との関係、他人との関係を切り離しました。

キリストの十字架はその敵意に和解をもたらします。
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「自分の荷物をちょっと脇に」 L.i.C

今日は洗足木曜日です。

イエス様が十字架に向かわれる直前に、弟子たちの足を洗われ共に食事をされた日を覚える日です。

「イエスは言われた。『わたしは、苦しみを受ける前に、あなたがたといっしょに、この過越の食事をすることをどんなに望んでいたことか。」(聖書・ルカ22:15)

イエス様はこれから受ける苦しみを良くご存知でした。

もし、私たちがイエス様と同じ状況にあったなら、どれほどへこんでいたことでしょう。
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