私たちの人生の中で、時に息詰まった絶望的な状況に追い込まれたと
感じてしまうような出来事がおこります。
聖書の中のエステル記の中に、こんな話があります。
ペルシャの総理大臣ハマンは、ユダヤ人を憎み、抹殺計画をたてました。
王妃エステルの伯父であるモルデカイまでも、
木に掛けて殺そうと準備万端整えました。
すべてのユダヤ人にとって、
抹殺されるという絶対絶命の危機が迫っていたのです。
“「絶望は喜びに変わる!」 L.i.C” の続きを読む
私たちの人生の中で、時に息詰まった絶望的な状況に追い込まれたと
感じてしまうような出来事がおこります。
聖書の中のエステル記の中に、こんな話があります。
ペルシャの総理大臣ハマンは、ユダヤ人を憎み、抹殺計画をたてました。
王妃エステルの伯父であるモルデカイまでも、
木に掛けて殺そうと準備万端整えました。
すべてのユダヤ人にとって、
抹殺されるという絶対絶命の危機が迫っていたのです。
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「それでは私たちの誇りはどこにあるのでしょうか。
それはすでに取り除かれました。どういう原理によってでしょうか。
そうではなく、信仰の原理によってです。」(聖書/ローマ3:27)
人はどんなときに疲れてしまったり、失敗してしまうのでしょうか?
それは、なんでも自分の力でできる!わたしはできる!
と高慢になり、自分を誇ったときです。
私たちは、神様によって造られ、生かされているのです。
そのことを忘れて、自分の力で何かをしようとするとき、
無駄な遠回りをして、人は疲れ果ててしまうのです。
“「もう自分は誇らない」 L.i.C” の続きを読む
「わたしは、あなたがたに平安を残します。
わたしはあなたがたにわたしの平安を与えます。
わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。
あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。」
(聖書/ヨハネ14:27)
私たちの人生には、苦難が繰り返し襲ってくるときがあります。
まさに「外には戦い、内には恐れ」の連続です。
中国の内陸部での宣教をはじめたハドソン・テイラーも
いつも苦難の嵐を通り続けた人でした。
しかし、彼は、苦難に対して独特の信仰的な方法と考え方を持っていたのでした。
それは、主ご自身が困難に取り組まれる一方で、
彼自身は、主の中で安らぎ、憩っているというものでした。
“「イエス様がいるから・・・」 L.i.C” の続きを読む
「すると彼らはイエスに言った。「私たちは、神のわざを行うために、何をすべきでしょうか。」
イエスは答えて言われた。
「あなたがたが、神が遣わした者を信じること、それが神のわざです。」」
(聖書/ヨハネ6:28-29)
私たちは、道に迷ったとき、困難にぶつかったとき、
よく「神さま、わたしはどうすべきでしょうか」
と思い、そのように尋ねます。
ある時期、私は運送のアルバイトをしていました。
ドライバーである社員さんはトラックを運転し、お客さんとやりとします。
その横で、契約が決まったお客さんの荷物を積むアシスタントの仕事です。
しかし、どうも社員さんと息が合いません。
積まなくてもよいときに、積み、
近くにいるべきときに、いない、そのようなことが続きました。
社員さんも少しイライラしてきました。
“「イエスさまを見ればわかる!」 L.i.C” の続きを読む
「悩む者には毎日が不吉の日であるが、
心に楽しみのある人には毎日が宴会である。」(箴言15:15)
一人一人それぞれ違った考えで一日を過ごします。
ある人は積極的に生きるべきだと考え、
ある人は努力しているが、なかなか上手く進まないと悲しく思います。
ある人は控えめに、人目に付かなく、
静かに生活しているかも知れません。
今日始まる一日は、私たちにとって、
何が起こるか分からない、未知の世界です。
“「毎日が宴会」 L.i.C” の続きを読む