「私は誰」 L.i.C

クリスチャンとは、一体どういう人のことを言うのでしょうか。
特にクリスチャンでない人から見れば、中には宗教嫌いな人もいる訳ですから、
好意的なものに限らず、無理解なものや、
誤解やピントボケしたものまで、実に様々な見解が存在するでしょう。
では、実際クリスチャンである方はどのように答えるでしょうか。

「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。
人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、
そういう人は多くの実を結びます。
わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」
〈ヨハネ15:5)
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「欲望という名の欠乏症」 L.i.C

現代は、物が溢れている社会です。
問題は、単に物があって豊かだというだけではなく、
私たちもいつのまにか、たくさん物を持っていないと
豊かでないと思い込んでいることです。
私たちが毎日、あれがほしい、これもほしい、
と思っているもの全てが、本当に必要なものかはわかりません。
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「疲れを癒す方法」 L.i.C

ぐったりと疲れてしまった時、自分の弱さを感じた時、
自分の限界を感じた時、それを乗り越える薬は何でしょうか。
私たちが疲れたり、弱気ななり、限界を感じるのは、
肉体的、物理的な問題だけではなく、精神的な問題によることが多いものです。

ですから、身体を休めるだけではなく、自分の心も休める適切な方法を知っていると、
疲れの度合いも少なくなり、疲れからも回復も早くなるのです。
クリスチャンの特権はその方法を知っていることです。
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「不完全でも大丈夫」 L.i.C

クリスチャンになる、ということは、完璧な人間になるとか、
聖人になるということではありません。
私たちは、依然として弱い存在なのです。苦しみもあれば、悲しみも経験します。
病気や死から無縁になる、というようなこともありません。
ただ、重要はことはクリスチャンが信じる方は本当に力強い神様であるといことです。
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「蜜より甘い」 L.i.C

何によっても心が満たされない時には、いったいどうすればいいのでしょう?

詩人ゲーテは「私が獄につながれ、ただ一冊の本を持ち込むことを許されるとしたら、
私は聖書を選びます」と言いました。

ユダヤでは聖書の巻物にはちみつを塗って、幼い子どもにそれをなめさせるそうです。
子どもたちに「聖書は蜜のように甘いんだ」ということを悟らせるためでしょう。
みことばをかみしめるように何度も読んでいくと、
不思議なことに、無味乾燥に思えた個所も甘くなっていきます。
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