「ピースメーカーになろう」 L.i.C

平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。
(聖書/マタイ5:9)
聖書全体には、「平和」「平安」という言葉が400回ほど出てきます。
では、平和とはどのような状態を言うのでしょうか?
平和とは、そこに正しい関係が成り立つ、ということです。

多くの人は、戦いのない状態を平和だと言います。
しかし、それだけでは足りません。
実際に戦争がなくても、アメリカとソ連は50年近くの間、冷戦状態でした。
これも戦争であり、平和ではない状態です。

家庭も同じです。
互いに愛し合わず、言葉も交わさずに暮らしているなら、そこに平和はありません。
争いがなく、互いに干渉していないだけでは、平和とは言えないのです。
“「ピースメーカーになろう」 L.i.C” の続きを読む

「心のきよい者」 L.i.C

「心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るから。」(聖書/マタイ5:8)

「心」とは、感情というより、むしろ考え方の態度のことです。

その人を決定する要素は、その人が持つ考えと態度に関係があるのです。

そして「きよい」とは、ギリシャ語でカタロスという言葉で、

「洗ってしまう」「偽りのない」という意味です。

つまり、心のきよい人とは、私たちの思考をイエス様のみことばによって

きれいに洗っていただき、偽りのない、正直な心で神様の前に立っている姿を指します。

心を隠してしまうと、せっかく神様の前に出ているのに、

神様は洗うことができなくなってしまいます。
“「心のきよい者」 L.i.C” の続きを読む

「何の理由もなく」 L.i.C

5つ目の幸福ですが、ある人はこの幸福を錯覚しています。

「あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるから。」
(聖書/マタイ5:7)

自分があわれみ深いなら、自分もあわれみを受けるといったように、

自分の功績のように考えています。

しかし、この言葉の正確な意味は、あわれみを受けた者だけが人を

あわれむことができるという意味なのです。

ローマ人への手紙5章5節を見てみましょう。

神様は一方的に「愛しなさい」と命じているのではありません。

神様は「まず神様の愛を受けなさい」と言っているのです。
“「何の理由もなく」 L.i.C” の続きを読む

「あのお店に行きなさい」 L.i.C

「義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるから。」(聖書/マタイ5:6)

「義に飢え渇く者」とは、私たちの真の目標を意味しています。

人は才能があるからではなく、渇きがあるから前に進むのです。

何をするにしても、その行動力の源は、渇きです。

神様が飢え渇きを与えてくださるということは、どんなに大きな力でしょうか。

飢え渇きがあるということは、その人の人生がそこに向かって進んでいくということです。

それでは「義に対する渇き」とは何でしょうか。

「義」はギリシャ語で「ディカイオー」と言います。
“「あのお店に行きなさい」 L.i.C” の続きを読む

「神様が動きだすまで」 L.i.C

「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐから。」(聖書/マタイ5:5)

現代は自分自身を誇示していく時代です。

しかし聖書は至るところで「神様に頼れ」と命じています。

「頼る」という言葉はラテン語の「レリジオ」が語源となっています。

この言葉には「結び付ける」という意味があります。

ですから「神様に頼る」とはもともと、

神様と私たちを紐で結び付けるという意味なのです。

それでは、神様に頼る者にとって一番必要なことは何でしょう。

「待つ」ことです。
“「神様が動きだすまで」 L.i.C” の続きを読む