「本当に価値あるもの」 L.i.c.

以前、アルバイトをしていた時に、つい習慣になってしまったことがあります。
それは、お金を時間に、時間をお金に置き換えること。
たとえば、時給800円のアルバイトを4時間すると、3200円になります。
何かを買おうとする時、誰かにプレゼントをしようとする時、「これは自分の何時間分の労働だ」と換算してしまいます。
反対に、誰かと遭うために4時間運転しなければならないとします。
そうすると、「4時間は(自分にとって)3200円分の価値だ」と考えてしまいます。

こんな風に、すべての行動を計算してしまうのです。

もちろん、お金や時間を有効に使うのは大切なこと。
しかし、すべての行動をこんな風に計算してしまうと、本当に大切なことを見落としてしまうかもしれません。

たとえば、年老いた両親の話を長い間聞いて過ごす時間、
たとえば、家がぐちゃぐちゃなままでも、子どもとずーっと一緒にいて、遊んであげる時間、
たとえば、困っている友人のところに、時間をかけて訪ねていくこと、
たとえば、ぼーっと空を見上げて、のんびりすること。

このような時間は、一見「むだな時間を過ごして!」と言われてしまうような時間かもしれません。
しかし、本当にそうでしょうか?
本当の価値は、目に見えません。
計算できないのです。

主は答えて言われた。「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」(聖書/ルカ10:41〜42)

マルタのように、熱心におもてなしをするのは、誰が見ても分かりやすい「有効な時間」だったことでしょう。
しかしイエス様は、じっと足元に座ってご自身の言葉を聞いていたマリヤのことを「良いほうを選んだ」と言われました。

私たちは「良いほう」を選んでいるでしょうか。
ちょっと立ち止まって、人からはムダと思われても、神様に喜ばれ、人を生かす、そんな時間の使い方を考えてみませんか。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です