戦国時代、細川家と親戚筋に当たる清原頼賢(よりかた)の息女佳代は、大そう美しい気品あふれる女性でした。
13歳頃にはすでにキリスト教の信仰を持ち、山に行っては捨て子を拾って育てていました。
明智光秀の息女玉子が細川家に嫁入りしたとき、旅の途中で清原邸に一泊しました。
そこで玉子を迎えたのが佳代でした。
彼女は非常に玉子とよく似ていて、ひと目会ったその時、ふたりは響き合うものを感じたのです。
その夜、玉子の侍女おつなが熱を出してしまいました。
すると、佳代は「自分が代わりにお伴をしましょう」と申し出たのです。
佳代は公家の育ちでありながら、侍女の役目を申し出ました。
彼女は、大名と結婚して富を楽しむより、玉子に一生仕えることを望んだのです。
その後「本能寺の変」が起こり、織田信長を殺害した明智の血筋は皆殺され、玉子も山の中に幽閉の身となりました。
佳代はそのときも玉子の身辺の世話をし、祈りつつ彼女を励ましました。
その影響で、玉子はついにキリストを信じ、佳代から洗礼を受けたのです。
玉子は、迫害の嵐の中、人々を次々とキリストに導き、38歳で壮絶な殉教を遂げました。
この玉子こそ、細川ガラシャ夫人と呼ばれた人物であり、そのガラシャ夫人を導くために一生をささげたのが、清原佳代(清原マリア)だったのです。
あなたをとおして主のもとに導かれる方々が起こされることを願い、今置かれている立場で主に仕えていきましょう。
信者である主人を持つ人は、主人が兄弟だからといって軽く見ず、むしろ、ますますよく仕えなさい。なぜなら、その良い奉仕から益を受けるのは信者であり、愛されている人だからです。あなたは、これらのことを教え、また勧めなさい。(1テモテ6:2)